イエスタ01

野村太一 – どこでもいい。さぁ、行こうか。 Vol.1

画用紙いっぱいにクレヨンで描かれた絵。それを丸めてメガホンにして叫ぶ少年達。
横断歩道をかけていく黄色帽をかぶった少女。

青空の下、今日も平和な景色が見れた。そんな他愛もない光景に生きている幸せを感じてしまった。ありがとう。
幸せってのは感謝をして初めて産まれる感情だと改めて思い知っちゃったぜ、おじさんは。

どうも初めまして。中野の「翼が折れまくりのエンジェル」こと、野村太一です。
どうですかね、みなさん。幸せ、感じてますか?

第一回目から早速ウサン臭いおじさんの登場だよ。今後ともよろしくね。
じゃぁ今日は俺の仕事でもあるバンドのお話をしようかな。

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<写真:20代の俺>

バンドを結成して今年で15年目。俺は23歳で初めてライブデビューをしたんですよ。
世間で23歳って言ったらアレですよ。堅実な人生を歩む人ならば社会人ですよ。
けれど俺は「夢追い人」が多く住む街に暮らしちゃってるもんだから感覚が一般常識とはかけ離れてるわけです。

30歳でフリーターって人間もたくさんいる街、そこが東京は中野と高円寺。
そんな街で出会った仲間とバンドを組んで、ライブハウス、クラブと呼ばれる所で演奏して。
何百回、それを繰り返したのか。

どこの事務所からも声をかけられずフリーで11年経ち、ようやく自分たちだけでお金を稼げるようになりました。

バンドマンの多くはメジャーを夢見て、そして25歳~30歳あたりで我にかえって社会人として働く。もしくはメジャーとしてデビューしたものの2年で契約を切られ路頭に迷い社会人として働く。

これが現状。

お金が欲しかったら就職した方がいいに決まってる。全然間違いじゃない。与えられた仕事をこなす事はとても素晴らしい事だと思ってます。

ただ俺たちがその道を選ばなかったのは意地と夢。

世間からは冷たい目で見られますよ。有名なインディーズバンドの方が亡くなった時にニュースが流れました。なんて呼ばれたと思います?職業「自称ミュージシャン」。

あんまりだろ。

けど俺たちが選んだのはそんな道。

夢を追うってのは体力が必要です。夢は叶わなければ時として毒と化します。気づけばいつからか、夢が「目標」という言葉に変換され目の前にある一つ一つをこなしている自分たち。

地道に、地道に。恥をかきながら、それでも胸を張りながら。

それが成功への鍵だと今も信じてます。メジャーだけが答えじゃない。

だからインディーズにも目を向けて頂戴よ。
TVで流行ってる音楽だけがすべてじゃないよ。「自分、人生経験豊富です!」って人はインディーズの方がしっくりくる時多いよ。

ってなんか初回から湿っぽい話になっちまったな、おい。この調子で行くと次回はビショ濡れかコラム打ち切りのどっちかだぜ。

なんか明るい話をするかな。最近ね、思い切ってiPhone8に変えた!
あ、ダメだ。どうでもいい話ランキングTOP3に入るじゃん!「スマホ変えたんだ」話は。

ってことでね。自由奔放な感じで俺は書いていくから!そこんとこ夜露死苦!
じゃぁ今回はここらでおいとまさせてもらいまっせ。またね。

野村 太一

野村 太一Yellow Studs(Vo.Key)、音楽制作、web制作、デザイナー、ナレーター

投稿者の過去記事

18歳で上京。美容専門学校に入学するも途中で退学。家賃29000円の風呂なしアパートやら転々としつつ中野に腰を据える。
数々のバイトで食いつないできたが、30歳で晴れてバンドやら何やらで生計を立てることになる。
社会人経験ゼロのダメ人間。

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