神西亜樹「透明な林檎」 Vol.23 – 詞

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大橋トリオ / ミルクとシュガー duet with 上白石萌音 (Music Video)

まただ。

「どうした?」とジジノスケが声をかけてくる。僕はPC画面の検索窓を指差した。そこには弾き語りのコード譜を探そうと思って入力した、ポップスの曲名が表示されている。『曲名 コード』で入力すると、だいたいの曲の簡易コード譜が出てくるのだから、便利な世の中である。ただ、そういった検索をすると決まって『あるサジェスト』がいっしょに表示されるのだ。先ほどの「まただ」も、この『あるサジェスト』がまた表示されたことを指しての発言だ。

それは『意味』だ。だいたいのポップソングは、検索窓にその曲名を入れると、予測候補に『意味』と出てくる。『曲名 意味』といった感じで、かなり多くの人が、歌詞の意味がわからず、検索しているわけだ。

「これが気になるのか?」と猫のジジノスケがひげを揺らす。

いや。
昔は思うところがあったけど、いまはそんなに気にしてないよ。今日はたまたま反応してしまっただけ。

「昔って、曲を作ってた頃の話か?」

うん。当時は、歌詞の意味がわからず調べている時点で、それはキミに向けて作られた歌ではないだろう、なんて冷たいことを思ったものだった。

「まあお前は歌詞の意味につまづくことがないから、共感できないのかもな」

一応、国語に強くないと話にならない職業に就いているからね。
ただ、今は考え方が変わったよ。意味がわからないもの知ろうとする姿勢はすばらしいし、否定されるべきものじゃない。

「丸くなっちまったな・・・」

なぜこの猫はガッカリしているのだろう。
それに、実際問題、歌詞というのはわかりにくい構造をしている。すくなくとも小説より。

「わかってもらう必要がない言葉だからな」

その通り。小説はすべての展開をわかってもらう必要がある。たとえば犯人がわかったとき、なぜソイツが犯人なのか、そしてなぜそいつが犯人だと「盛り上がるのか」、ピンときてもらわないと、読者が最大限楽しめない。理解度が高いほど楽しいのが小説だ。伏線を回収するには、伏線を知っておいてもらう必要がある。

だけど歌詞は違う。歌詞はわからなくとも彩りになる。曲はあくまで音楽が主体としてあって、歌詞はそれに付随するカラーだ。聴き手の解釈でカラーは変わる。理解できようができまいが、受け手が好みのカラーさえ感じられればよい。むしろ理解できないほうが、たくさんの色を持つ歌詞になるかもしれない。

「わかるように作る必要がないのが歌詞だ。そりゃ、わからん奴がいて当然なわけだ」

わからないことの持つ奥行きというのは、僕も好きだった。推し量るおもしろさだったり、曖昧だからこそ生まれる可能性だったり。

でもその歌詞と小説の違いのせいで、僕は作家として随分苦しんだ。小説はわからないなんてことがあっちゃいけないから、全てのものに光をあてる必要がある。でも僕はこれをかなり見逃してしまうんだ。何せ作詞という行為から文字書きをはじめ、作詞というルールが体に染みついてしまっているから、どうしても曖昧さが残って、それを良しとしてしまう。それがいいと感じる。

「べつにそういう物語があってもいいんじゃないかね」

ジャンルによるね。僕の書いているジャンルはどうなんだろうな。とにかく、現在進行形で苦労しているよ。

「おっと、話の途中で悪いが、呼び鈴が鳴らされたぞ」

何回だい、と僕は尋ねた。

「二回だ」

僕は玄関へ向かうべく立ち上がった。

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神西亜樹小説家・シナリオライター

投稿者の過去記事

2014年、『第一回 新潮nex大賞』大賞受賞。新潮文庫nexよりデビュー。
最新作『東京タワー・レストラン』発売中。
ショートシナリオや劇場用映画脚本協力等も担当、シナリオメイキングに幅広く携わる。
昔はボーカロイドで楽曲を制作しており、作詞から挿絵、動画まですべて自作していた。音楽は今でも愛好。
ユーモラスで優しい話が好き。

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