神西亜樹「透明な林檎」 Vol.25 – リンチバーグ・レモネードを彼らに

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「よお、旦那」

バーカウンターに座っているのは私だけで、席はいくつも空いていた。だと言うのに、男が私の右隣に座る。口内に収まらないほど長い舌を、不気味にだらりと垂らし、大きな口の端を釣りあげている。何もしていないのに、ただそこにいるだけで相手を威圧し、委縮させるような男だった。

「一人かよ」と男が言うので、知ってるだろ、と返す。

「この世界で飲み仲間は作りようがないだろうからな」

左隣に女が座った。長い前髪で両目を隠し、何処を見ているかわからない。男とは反対に控えめについた小さな口で、ぼそぼそと喋る女だった。

「はは、ちげーねえ。おいマスター。NIKIかけてくれ」

NIKI – Selene (Official Lyric Video)

ジュークボックスくらい自分でかけろよ、と僕があきれる。

「無駄に歩きたくねえんだよ。舌を噛んじまうだろ。なに、カクテルならカヤが作ってくれるさ」

「私はお前みたいな無礼者ではない」と女が言い、「ああ、椅子の上でこじんまりしてるのが趣味だったな。根暗女」と男が返す。キミらが今日の回収員?と僕が訊くと、二人同時にうなずいた。

「第二層に入ってからしばらく経ったからな。人選もこだわる必要が出てきた」

「ま、イニシエーション・ダイヴっつったら俺たちだ。作者のあんたが一番知ってることだろ」

まあ、そうだね。
そっちの世界じゃ、どれくらい時間が経ったのかな?

「二年ほどかな」

だいぶ経っているな、と私は思った。果たして私は、それほどの期間このような状態にあって、健康に生きることが出来ているのだろうか。

「そもそも、どうしてこんなことになっている」

私は首を振り、グラスを持った。人生というのは予測できないものだ。このグラスの中の氷がどう溶けていくかなんて誰にもわからない。それと同じさ。
ただ二年をかけてわかったこともある。たとえば、アレに害意はない。

「アレって、あんたの格好した、アレ?」

私はうなずいた。アレはおそらく、私から作られた抗体のようなものだ。あの椅子に座って、私という個が侵されるのを守っている。

「・・・イニシエーション・ダイヴというものは、内世界への潜航だ。自己の別側面が現れることはある」

カヤが顎に手を当てながら言った。目元は見えないが、思案しているのはわかる。

「俺やカヤみたいにな」

「だが、自分自身の姿をした抗体というのは、なんというか、直接的すぎないか?」

「会話はしやすいんじゃね?」

それがそうでもない、と私はため息をつく。自己と限りなく近い人格だと、思考が似通ってしまって、会話が広がらない。結論がいつも同じになってしまって、答えにたどり着けないんだ。

「そういうもんか・・・おい、マスター。次はBrother Zuluだ」

Brother Zulu

「アンダ、いい加減にしろ」

「うるせえ。嫌なら耳塞いでろ。そうさ、お前は目じゃなく耳を塞ぐべきだったんだ」

キミたちは本当に似ていないね、と私は言った。同一人物なのに。

「それが本来のイニシエーション・ダイヴの効能だよ」

「そう。違うからこそ対話に意味が出てくる。アンタが特殊なんだ」

やれやれ。どうしたもんか。

「角度を変え続けるしかないだろうな。思いつく限りを試し続けるしかない。生物というのは、常に形を変える。手が尽きることはないだろう」

気が遠くなってきたよ。

「そりゃ飲みすぎなんだよ! はは!」

シリマは元気かい?

「元気だから、俺らがここにいんのさ」

「そして、お前を助けているのさ。未来の道を舗装するために過去はある」

優しい言葉をかけるときの、彼らの魂胆はわかっている。私の気分を持ち上げて、一杯おごらせようとしているのだ。
まあ、いいさ。仕方ない。
マスターに声をかけ、リンチバーグ・レモネードのオーダーをふたつ入れてやる。

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神西亜樹小説家・シナリオライター

投稿者の過去記事

2014年、『第一回 新潮nex大賞』大賞受賞。新潮文庫nexよりデビュー。
最新作『東京タワー・レストラン』発売中。
ショートシナリオや劇場用映画脚本協力等も担当、シナリオメイキングに幅広く携わる。
昔はボーカロイドで楽曲を制作しており、作詞から挿絵、動画まですべて自作していた。音楽は今でも愛好。
ユーモラスで優しい話が好き。

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