神西亜樹「透明な林檎」 Vol.27 – よだか

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「おっと、呼び鈴が鳴らされたぞ」

何回だい、と僕は尋ねた。

「・・・一回だ」

僕は玄関へ向かう。廊下へ出ると、においがこもっていたので、空気清浄機をつける。この地域は下水に少々難があって、夏から秋にかけて嫌なにおいがこもる日がある。
玄関の扉を開ける前に、のぞき穴から扉の向こうを確認する。
誰もいないようだった。
僕は慎重に扉を開いた。なんとなく、音を立てたら悪い気がしたのだ。
顔を出して周囲を確認するが、やはり誰もいない。おかしいな、と首をかしげる。たしかに呼び鈴は一回鳴らされたはずなのに・・・。

いや、鳴らされたのだろうか?
僕が呼び鈴を聴いたわけではないのだ。ジジノスケが報告したのである。
思えば、いつだって呼び鈴の報告はジジノスケがしていた。僕は聴いた記憶がない。

なぜ猫が報告するのだろう。

なぜ猫が、家にいるのだ。

扉の横についたインターホンには、「リセット」と書かれていた。
リセット。まるで表札みたいだ。でも僕はそんな名前ではないはずだ。

僕はつっかけていただけのスニーカーの、かかとに指をつっこみ、しっかり履き直した。そのまま、扉の外に出る。
エレベーターに乗り、一階のボタンを押す。扉はすぐに開いた。香辛料のような匂いがした。先ほど、呼び鈴を鳴らした人物の匂いだろうか。香水かもしれないし、あるいはエレベーター自身の匂いかもしれない。
一階からオートロックをくぐり、外へ。十月に入っていたが、まだ日本は夏を忘れられない様子で、秋になるのを躊躇している。

僕は国道の方へと歩きだす。来訪者の行き先にアテがあるわけではない。それでも広い道を目指したのは、物音を感じたかったからかもしれない。

家から出てここまで、まだ誰ともすれ違っていない。生き物の気配が感じられない。この街で何かが起きている気がする。

そういえばヘッドホンを忘れたな、と僕は思った。
音すらない世界となると、いささか寂しい。こういうときこそ音楽が必要なのに。
昔はよく、夜中に家を抜け出しては、音楽を聴きながら近所を歩いたものだった。静まった街を縫い付ける糸のように、高架下を通り、十字路を渡り、校舎を横目に坂を上り、駐車場を踏む。そういった時間は、僕だけでなく、多くの人が持っている時間のはずだ。気持ちを落ち着けるために、自分の殻にこもったまま外の世界と接続するのだ。そうすることで、波立った気持ちを整理する。砂糖の瓶を振って、中身を均等に均すように。
均すためには、ふさわしい音楽が必要なのである。自分と夜をつなぐにふさわしい曲が必要なのだ。
夜・・・スピッツの夜を駆ける、とか。
いまだと、YOASOBIの夜に駆ける、の方になるのだろうか。

YOASOBI / Into The Night (「夜に駆ける」English Ver.)

サカナクション / アルクアラウンド -Music Video-

この場合の音楽は、いわば肥大化したエゴを夜につなぎとめるための実体で、僕らそのもの、僕そのものだった。
それがなければ僕なんてものはすぐさま形を崩し、夜に溶けてなくなっていく。四肢がぼんやりとしてきて、星みたいになって、夜に浮かぶだけになる。

そして一度浮かんでしまったら、追う足音は聴こえない。

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神西亜樹小説家・シナリオライター

投稿者の過去記事

2014年、『第一回 新潮nex大賞』大賞受賞。新潮文庫nexよりデビュー。
最新作『東京タワー・レストラン』発売中。
ショートシナリオや劇場用映画脚本協力等も担当、シナリオメイキングに幅広く携わる。
昔はボーカロイドで楽曲を制作しており、作詞から挿絵、動画まですべて自作していた。音楽は今でも愛好。
ユーモラスで優しい話が好き。

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