神西亜樹「透明な林檎」 Vol.29 – 透明

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Zion.T & Gen Hoshino – Nomad (Official Video) | Shang-Chi: The Album

「雨だぞ」と男が言った。

そういえば、いつの間にか降っている。男は傘をさし、しゃがんで何かを見ている。何を見ているかは、傘が邪魔でわからない。

「傘の中に入ればいい。猫一匹くらい入れる余地はあるぞ。それとも雨が好きなのか?」

雨が好きな奴もいるだろ。私も――

「俺も好きだ。だが濡れるのは嫌いだ。雨は他人事の距離感であるときに限り、好きなんだ。窓の向こうの出来事だから美しいと言ってられる・・・まあ、さっきのは言い方が悪かったな。濡れるのが好きなのか、と訊くべきだった」

猫相手に饒舌な奴だ、と思った。周りに人がいないときほど喋るのは、昔も今も大して変わっていない。我ながら呆れる。

私も濡れるのは嫌いだ。だが、傘に入るのは遠慮しておこう。

「変な猫だな」

お前もさっき言ってたろ。距離感が大事なのさ。
ところでお前はこんな雨の中、しゃがんで何をしてるんだ。

「ワイヤレススピーカーかな、これ・・・曲が流れていたから、聴いていた」

何の曲だ。

「それが、わからねえんだ。聴いたことない曲だったけど、他人事じゃない曲」

私は首をかしげる。

「ほら、たまに出会うだろ。これ自分のことを歌ってるなとか、歌詞の意味が隅々までわかるなとか、そういう曲。それだったんだ」

男はそう言った後、曲を口ずさみ始めた。
常夜燈だ、と私は応えた。そりゃあ知らないはずだ。その曲は、最近の曲だ。私が自分を、稀代のメロディメーカーであるとわずかながらに信じていた時代にはなかった曲である。男が知らなくて当然なのだ。

そこの男は、私の心の中に住む、私の過去の残影なのだから。

PEOPLE 1 “常夜燈” (Official Video)

「こんな風に音楽の道に入って、苦しんでるのは、周りからは自業自得だと思われてるかもしれないけど、俺から言わせてもらえれば、全部バンプのせいなんだよ。バンプと出会ってこの道を目指したんだから。彼らは孤独な子どもだけが知ってるアングラのヒーローだった。それが今じゃ、コンビニ放送で流れてる」

私はすこし間を置いて言った。
お前は、音楽に熱中したことを後悔しているのか?

「していない、とでも言うと思うか? 後悔なんて、何回したかわからないな。みんなそうじゃないのか」

世間を見るに、どうやらそうとも限らないらしい。

「まあ、好きなことで食ってこうとするってのは、言われてるほど悪くはないよ。より深みに手が届くことは、悪いことばかりじゃない」

男もすこし間を置いて、続ける。

「だが少なくとも俺は、本気で物作ってるときにヘラヘラしてられる性分じゃない。期待外れの自分が、あるいは世界が、しんどくてしょうがないね」

それは今もである。

「・・・いつまでもこうしちゃいられない、という不安もある。時間は止まらない。先延ばしにも限界があって、いつか大人であることを受け入れる日が来るんだ。たぶんな」

その推測は正しい。

「それに、どうやら普通の人生ってのも良いもんらしい。みんな楽しそうにしてる」

そう見える。

「だから、こんな飯のタネにもならねえ夢なんて、さっさと手放さなきゃならん。欲しい頂も、天才にくれてやらにゃならん。そんなことはわかってる。わかってるんだが・・・」

消えてくれないのである。なぜならその灯火は、延々と続く夜に灯り、道を示した常夜燈だから。

「俺は猫に何を言おうとしてるんだ」と男が背を向けたまま言った。傘が雨をはじき、水の壁を作っている。

話が止まったので、今度は私が口を開く。そのバンドには、こんな曲もある。

PEOPLE 1 “ゴースト” (Official Video) – 作詞:deu

『愛すべき夢想と身に余る孤独は、ここに置いていくがいい』

「いいね」

キミはゴースト、胸躍る夜の亡霊。

もう一度だけ「そりゃいい」とつぶやいたら、男は黙り、動かなくなった。傘をさし、しゃがんだまま、その場にとどまり続けた。

夜は続く。朝は来ない。
林檎を食べたら最後、二度と楽園には戻れない。取り戻そうにも、なくなった林檎は永劫に透明なままだ。

夜の底で一人ブランコをこいで、進んだと思ったら後ろに下がる繰り返し――お前はその空虚な時間が語られることなど、最期までないと思っているだろうが、しかし人生は地味なようで、意外に変化があるものだったりする。

だが今しばし、雨は降り続ける。

「・・・次に作るときは・・・」

雨が傘のヘタと半球を伝って男を包む。

したたるヴェールが私に示す。透明な林檎の姿を。

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神西亜樹小説家・シナリオライター

投稿者の過去記事

2014年、『第一回 新潮nex大賞』大賞受賞。新潮文庫nexよりデビュー。
最新作『東京タワー・レストラン』発売中。
ショートシナリオや劇場用映画脚本協力等も担当、シナリオメイキングに幅広く携わる。
昔はボーカロイドで楽曲を制作しており、作詞から挿絵、動画まですべて自作していた。音楽は今でも愛好。
ユーモラスで優しい話が好き。

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