ヨルシカ – 「エルマ」レビュー

外は真っ青な空にでっぷりと肥えた入道雲が悠々と私たちの上を漂っている。じりじりと焼け付くアスファルトがあまりの暑さに蜃気楼で揺らめいて、正真正銘夏が来たのだと思った。2019年の春。ヨルシカは『だから僕は音楽を辞めた』というアルバムがリリース。濃密な主人公の心情が吐露された、ただの1枚のCDというにはあまりにも中身の詰まった作品が世に産み落とされた。音楽を、夢を手放していく彼の物語は、あれで締めくくられるのだと思っていた。音楽に携わり続けるナブナ・suisが音楽の世界にばらまいた爆弾は、もう1つ続きがあった。「エルマ」前作の主人公が求めてやまなかった、彼女の名前に掲げて、この夏ヨルシカの世界はさらに広がっていく。

「車窓」と名のつけられたその歌は、軽やかなピアノの音でアルバムのはじまりを彩っていた。「だから僕は音楽を辞めた」のMVを思い出す。眼前を滑るように進む電車、一人残された主人公。一方電車の中でエルマは何を思ったのだろうか。今回も前回そうしたように手帳の内容と一緒にこの物語を紐解いていく。

以前の手紙で主人公、エイミーがそれこそ女神か何かみたいに求め続けた女性エルマ。そんな彼女の言葉たちもまた、強く彼のことを求めている。作品を作るために生活を、世の中をどこかおろそかにしていた彼を、思慕し崇拝する一方で疑問も覚えている。でもどうしようもなく愛していたのだろうと思う。そんなはじまり。

少し読み進めていくと9月5日の日付と「憂一乗」。あたりは3月の日程に囲まれ、ぽつんとそれだけが季節はずれみたいに置かれている。藍二乗に相反するタイトル。あれが旅立ちの歌であるならこれはなんであろうか。水中で歌っているかのような淡く揺れるような声が聴くものの心をも揺らす。シンプルなメロディだからこそその揺らぎが垣間見えて、ダイレクトに伝わってくる。「湖の底にいるみたいだ 呼吸の一つが喉に絡んだ」口の中でつぶやくように、隠れていた心情を吐露するように、彼女は歌う。MVで見えたエルマは凛々しくて、迷いなんてどこにも見つけられなかったけれど、違った。「思い出の外に触りたい また君の歌が聴きたい」以前の彼が彼女を求めたように、彼女も彼を求めていた。

彼残した写真をなぞるようにルンドの街へ。その続きに書かれていたのは「夕凪、某、花惑い」だ。聴けば「八月、某、月明かり」と対になるのであろうことがわかる。でもこの歌の方がもっと暴力的で、破壊的、というか衝動的な気がする。音が跳ね上がるように向かってくる。言葉1つ1つが弾丸だ。「僕らを貶す奴らを殺したい 君ならきっと笑ってくれる」なんて直接な表現なのだろう。怒りややるせなさをそれこそ花火みたいに、爆発させるように叩きつけるように激しく歌いあげる。この歌が果たしてエルマに伝えているのか、それとも理解してくれない分からずやに向けているのか、はたまた本人も考えていないのか答えは明らかにならないけれど。

北東を目指し、その途中でヨンショーピンへ。「雨とカプチーノ」。2人が出会ったカフェを思わせるこの曲はきっとエルマとエイミーのはじまりのときの歌なのだろう。少なくとも彼女にとっては。記憶のなかで白く燻る湯気のようにとろみを含ませた音がどこまでも蠱惑的だ。「さぁ揺蕩うように 雨流れ僕らに嵐す花に溺れ 君が褪せないように書く詩を どうかどうかどうか今も忘れないように」その大切な瞬間たちを詩にして記録する。声はまっすぐ、どこまでも純真で。それでも「どうか」という単語を3回も重ね、なにかに縋るように。自分の中にあるエイミーを探しているのかもしれない。知っていたはずの出来事がだんだん曖昧になって、それが正しいかそうでないか、確かめのすべもなくウソとホントがなくなっていく。だからこそ「わからないよ 本当にわかんないんだよ」歌詞があまりに重く響く。そうして続くように何かを揺らすような不可思議で懐かしい「湖の街」が流れる。揺れる水面に彼女は何をみたのだろうか。

次に書かれている詩は「神様のダンス」。これはエイミー作った「踊ろうぜ」を思い出させる内容になっている。どこまでも開けっぴろげで楽しそうに、そうでありながら歌詞には皮肉を込めて。なんとなく音の荒いギターと感情の高ぶりに合わせて強まっていくピアノ。でもどこまでも音は明るく楽しくリズミカルに。「君がいいのなら ただ忘れたいのなら もう戸惑うことなんてないぜ このまま夜明けまで踊ろうぜ」とエルマとの思い出を、歌にして過去にして、手放そうとする彼。それに対して「忘れるなんて酷いだろ 幸せになんてなるものか」と頭から言い返すエルマ。仮に彼の作った歌が諦めでどうしようもなくなった、自棄の歌だとしたらこれはそれに対する反論の手紙だ。1人で勝手に諦めている彼への怒りの歌だ。「なぁ、言葉が世界だと云うなら、世界は僕らのものだ 忘れるなんて酷いだろ 幸せになんてなれるかよ 僕を歪めたのはあんたじゃないか」音楽を辞めた彼の物語を、彼より認められないままでいる。

ガムラスタンの街に着く。雨つぶが地面を叩いて跳ねるみたいな曲だと思った。後ろのドラムが淡々としたリズムを作り、その合間合間にぽんと、広がるような音。難解ではない音色とリズムと声が合わさって、無作為に作られた自然の音の雨音のような、引き込まれる曲調が生まれる。雨を待っていた彼女がきっと見たかったのは、雨上がりのガムラスタン。もっと言えばその街をどうエイミーが感じ、表現しようとしたのか。この歌では「歌え 人生は君だ」「もっと書きたい ずっと冷めない愛の歌を」彼のことを力一杯全力で表現したいと望む歌詞と、「消えろ 全部消えろ 声も言葉も愛の歌も」自分の中にある言葉を消そうと踠き、苦しむ歌詞のどちらもが並んでいる。

老婆との出会い、誰かの思い出に触れる。ゴットランド島、ヴィスビーについた。そうしてあまりにも爽やかに「今日、死んでいくような そんな感覚があった」と告げる。「歩く」という詩。「今日、生きてるような そんな錯覚があった 妄想でもいいんだ 君が居てくれたらいいや 悲しいような歌ばかり書く 頬を伝え花緑青 本当は全部を知っているんだ」エルマの書いた「五月は花緑青の窓辺から」。の詩を思い出す。象徴的に登場する「さようなら」。いつか彼が彼女との思い出を過去にしていったように、自分の想いを詩で残していったように、エルマも同じ過程を経てエイミーに対する気持ちを整理しているのだろうか。また頭にも書いたけれど、この歌はどこまでも爽やかだ。今まで薄々感じていた終わりを、彼女の中で肯定するような内容とその曲調のギャップに驚く。曲名には歩く、とあるけれど、どちらかと言えば走るようなテンポ。そのはやさに坂を転げ落ちるような、猛スピードで終わりへと向かっていく感覚を覚えた。

いつの間にか7月を迎えていた。書かれている詩は「心に穴が空いた」。叙情感たっぷりに歌い上げられ、suisの声をより一層際立たせるためのドラムやピアノが鳴り響いている。彼女は彼のことを「忘れたいのだ 忘れたいのだ」覚えてはいられないのだ、真っ当に生きていくには。きっと。思い出は薄れていくはずなのに、彼がいた、という事実が自分の中から消えてくれない。サビを迎える頃には不安や悲しみ、愛情が爆発するように、音も溢れ、弾ける。「心の穴の奥に棲んだ 君の言葉に縋り付いた」彼女にとってエイミーは人生そのものだったから。彼が埋めていた世界は穴だらけで、もはや埋まることはないのだ。「今ならわかるよ「君だけが僕の音楽」なんだよ、エイミー」。綺麗で透明で美しい歌で、歌い終わる頃には残るものはなにもないから、途方もなく空っぽだ。

フォーレ諸島へ。「声」を書く。彼の遺した作品の中には音楽と人生、それから自分が、エルマが描かれていた。軽やかで上澄みを掬うような音が重ねられている。チリチリと細かいリズムが重なってリズムを作り出しているのに、なぜだか薄っぺらで頼りなさみたいなものが曲の中に含まれている気がする。たくさんのエイミーを知っていたはずなのに、彼のこと、なにも知らない。歌の中の自分自身は笑っている。「貴方の世界を今日も知らない 私がいるばかり」途方に暮れる「描きたいのは心に空いた時間だ 言葉よりずっと重い人生はマシンガン さよならの形をただ埋められないと零して」探しているものの先にいるものが実は自分で、それがわかったからといってなにも変わらなくて、ここからどうすればいいのだろうか。手放しの不安と諦めがひしひしを伝わってくるようである。

「エイミー」という詩。ついに彼女もお別れを理解する。これはきっと、うまくいかなかったこと、納得のいかないもの、消えていく思い出と、一緒に生きていく覚悟だ。エイミーと一緒に生きていく覚悟だ。このアルバムの中で、どこかありふれた、どこにでもあるポップソングの様相をしている、この曲だからこそ、彼の名前にふさわしい。日常の中で「誤解ばっかさ、手遅れみたいな話が一つ 頭の六畳間、君と暮らす僕がいる 忘れたいこと、わからないことも僕らのものだ、」彼女の人生は彼のくれたたくさんのものとこれからも続いていく。サビでsuis の声に重ねられる、誰かの声が明示的に聴くものの心を揺さぶる。忘れることを諦めたからだろうか、迷いがなくなった声は凛として、まっすぐな意思を感じる歌だ。

アルバムでは最後に収録されている「ノーチラス」。これはネモ船長が作った潜水艦の名前だ。ノーチラス号は最期船長の棺として海に沈められた。水の中をゆっくり泡が昇るようなリズムで、ぽつぽつと重ねられる言葉。最後の曲にふさわしい締めくくりの曲だ。「もう目を覚まして。見て。寝ぼけまなこの君を忘れたって覚えているから」これからずっと2人は一緒だ。死が彼らを分かつとも。

あまりにも美しく出来上がった物語。儚くて少しでも触れたら崩れてしまいそうな、恐ろしいほどの完成度だ。エルマとエイミーのお話はここで終わりでも、ヨルシカの物語は終わらない。これからもきっと続いていく。n-bunaが描く世界をこれからも楽しみに見つめていたい。もうすぐ夏も終わる。何かを終わらせるのにぴったりな一枚だと思う。ぜひいろんな人に聴いてもらえたらと思う。

2nd Full Album『エルマ』特設サイト 

ヨルシカ / n-buna YouTube


尾方里菜

尾方里菜デザイナー・ライター

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表現することが好きな、どこにでもいる普通の人。思い立ったらなんでもやりたい。我慢できない性質(たち)。
現在はデザイナーとして修行しつつ、このメディアでライターも経験させていただいております。
趣味は写真を撮ることと絵を描くこと。好きな言葉は「鳩だって死ぬところを見るまで不死身だ」よろしくどうぞ。

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