マジックを見せるってのは?今からこの鉛筆を消そう。ジャジャーン、ほら、なくなった。
このセリフだけでわかるだろうか。
そう。ダークナイトのジョーカーだ。
もうこの狂気がすばらしい。
という事でここまで書けばなんとなーくどことなーく予想できるのではないだろうか。
そうですよ見てきましましたよ。『ジョーカー』
冗談みたいな俳優、ホアキンフェニックス主演の『ジョーカー』
もう初めに言おう。
これはネタバレを含むぶっちゃけコラム。
だからここで閉じてしまってもいい。
正直に本音をぶちまけるつもりだ。
このコラムのオチを先に言ってやる。
時間を返せ!!!!
僕は最初から乗り気ではなかった。
バットマンで暴れまわるジョーカは、生まれた時からジョーカーなのだ。
ゴッサムシティが生んだ怪物なのだ。
狂気のシンボルでありそこに誕生の理由なんかいらないと思っていた。
そんな中、今回の『ジョーカー』はジョーカーが生まれるまでの話を描くという…。
誰がそんなことを望んだんだと、本気で感じた。
とはいえ見てみないことには感想は言えない。
久々にこんなに陰鬱な作品を見た。
ラースフォントリアの様な欝々とした見ていて苦しくなるような、日常の悲しみを詰め込んだ作品だ。
何のために僕はこの映画を見ているのだろう。
何が見たくてこの映画を見ているのだろう。
この映画に何を期待しているのだろう。
そんな気持ちになりならがら、いつしかホアキン演じるアーサーに同情の様な気持ちが生まれてくる。
ジョーカーにこんな気持ちを抱くこと自体違和感があった。
この映画は何が主人公なのか。
ふと、自分はジョーカーを求めている群衆の一員になった気さえする。
最後、まるで救世主を囲むかのように数多くのピエロがジョーカーを囲み混沌の始まりを期待する。
そして場面が変わり、カウンセリングを受けるアーサー。
まさか。
まさかまさかまさかまさか。
それはだめだ。
それだけはだめだ。
それはタブーだ。
・・・・
結局僕らが見た2時間はアーサーの妄想だった。
そしてここからは僕の個人的な考えなのだが、
このジョーカーの妄想を繰り広げたアーサー。
おそらく彼はジョーカーでもなければ、ゴッサムシティの住人ですらないのではないだろうか。
では誰なのか?彼はきっとこっち側の世界の人間。そう僕らと同じ立場の視聴者側の人間なのではないだろうか。
なぜか
それは作中(妄想中)に出てくるひとりの少年の存在だ。
アーサーは作中に自分の父親と信じる大富豪のウェインに会いに行った時、
その息子ブルースにである。
このブルースこそ、バッドマンの正体だ。
このブルースウェインを登場させたことで、アーサーはゴッサムシティの住人から、
ゴッサムシティの全てを知る人物になったといえる。
ゴッサムシティの全てを知る人物とは?
それは何度もバッドマンの作品を見てきた僕らだ。
バッドマンファンなら一度は妄想にふけるだろう。
「僕もバッドマンなら、バッドマンの味方なら・・・」
そんな少年の様な妄想をアーサーは繰り広げたのだ。
結論、この作品はジョーカになりたいホアキンフェニックスを見ていただけなのだ。
いったん何だったんだろうか。というあきれた気持ちと、
僕が求めたいたジョーカー像を、最終的に何も変えず、2時間が何もなかったかのように終わっていった。
正直な気持ちは「ほっとした」という感想を持ったのだ。
ある意味で一本を取られたこの作品に、拍手はするにしても、絶賛はできない作品だ。
人には絶対にお勧めできない名作だった。