神西亜樹「透明な林檎」 Vol.09 – さくら

桜が咲くような春真っ盛りの時期が、僕の中で「三月上旬」というイメージになっているのは、おそらく三月九日という曲のせいだ。三月といったらあの曲。だったら春もあの曲の日付、と勝手に連想してしまう。

レミオロメン – 3月9日(Music Video Short ver.)

「せい、とはあんまりな言い方じゃないか」とジジノスケが言った。

ジジノスケは我が家に居つく空想猫だ。モップくらい毛が長いが、気はわりと短い。愛用している鉛筆をひと噛みしたら、文句を言いだすサインだ。

「お前が春を知らないことに、この曲は何の責任もない」

別に責任がどうとかって話はしてないさ。音楽にはそれくらいの影響力があるという話だ。
というか、春を知らないとは、また妙な言い回しをする猫である。

「そういえば、桜の季節か。今年はウィルスがどうとかで外に出られないから、どうも実感がないな」

他人事ではあるまい。新型コロナウィルスは猫にもかかるらしいからな。

「神西は桜を見たのか?」

仕事帰りにね、と僕は言った。ライトアップされる予定だった夜桜のある場所へ足を向けたのだが、あたりは真っ暗で、人もいなかった。毎年、強烈な光を浴びせられている桜たちはきっと驚いたことだろう。今年の人間たちはいったいどうしてしまったのかと。心配しているかもしれないな、と思い、僕は何本かの桜に事情を話しておいた。

「桜はなんて言ってた?」

何も言わないさ。桜は何も言わないから綺麗なのだ。

「しかし神西よ、花見に行ったなどと軽々しく話したら世間に睨まれるぞ」

僕が夜桜を見たのは、昨日や一昨日の話じゃない。だいぶ前、まだ世間がコロナに対してのんびりしていた頃の話だ。しかも、人の集まっていない暗い舞台のね。それを、自粛ムードのいまの日付に愚かにも人混みにまぎれに行った、などと解釈されても困る。そんなの、そいつの勝手な思い込みじゃないか。

「三月九日」

あ、と僕は頭を掻く。たしかに、これもまた似たようなケースかもしれない。人は皆、それぞれが思い込んだ春の中にいる。

話題を変えようと思って、僕は写真をジジノスケに見せた。これもだいぶ前になるが、羽田空港に行く用事があったときに撮った写真だ。

「人がいないな」

僕は頷く。人を集める場所に人がいないというのは、きわめて非日常的な光景だった。

けれども、これからしばらくはきっとこれがスタンダードになっていくのだ。非日常的な空間が日常となっていく。街は雑音を消して、人間によそよそしくなるだろう。写真に切り取ると、ますます命を感じない空間になっていく。こぎれいな廃墟と化す。

そして僕らはそれぞれの家の中に押し込められる。仕方がないから僕はゆっくりとコーヒーを飲む。

「仕方のない朝に乾杯」と猫が言った。僕はクッキーの箱を開けた。

「おい、人がいなくなったんじゃないのか?玄関で呼び鈴を押してる奴がいるぞ」

猫が報告した。僕は肩をすくめ、玄関へ向かった。どれだけ世界が閉じても、生活は続いていく。

神西亜樹

神西亜樹小説家・シナリオライター

投稿者の過去記事

2014年、『第一回 新潮nex大賞』大賞受賞。新潮文庫nexよりデビュー。
最新作『東京タワー・レストラン』発売中。
ショートシナリオや劇場用映画脚本協力等も担当、シナリオメイキングに幅広く携わる。
昔はボーカロイドで楽曲を制作しており、作詞から挿絵、動画まですべて自作していた。音楽は今でも愛好。
ユーモラスで優しい話が好き。

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