神西亜樹「透明な林檎」 Vol.10 – 踊り方を変える必要がある

体がだるい。
部屋にこもりきりで、筋肉がこわばっている。
だからといって外に出られるかというと、そういうわけにもいかないご時世だ。ウィルスは僕の目には見えない。どこに潜んでいるかわからない。もしかしたら、いまも僕の隣に座って、ジョン・ガルブレイスの『ゆたかな社会』を読みながら、ずり落ちた眼鏡を直しているかもしれない。そんなゆるやかな日常を共に過ごしながら、気まぐれにつぶやくかもしれない。死ね、と。

「あるいは見えない毒林檎でも食べさせてくるかもしれない」

僕はジジノスケの言葉に同意した。彼らはいまも、透明な林檎を我々に差し出している。

「ある社説によると、新型コロナは毎年の流行り病みたいに継続するかもってさ」

ある統計によると、日本人は死者数の多い欧米よりもはるかにこの事態を悲観しているかもってさ。暗い噂話を広めたがる猫がいるからかもな。

「それは人の統計だろう。俺は猫だ、関係ない」

ジジノスケが耳をふさぐように丸まった。ジジノスケは我が家に居つく空想猫だ。黒い毛で、髭はいつもアンテナみたいにピンと張っている。触れたら怪我しそうなくらいピンとだ。

「しかし近頃、家にいても世の中が変わっていくのが伝わる、不思議な感覚があるよな」

たしかにね。

「あらゆる職業が刷新されていく予感がある。多くの国民がテレワークなんてものを知ってしまった以上、働き方も新たな形になっていくはずだ」

今日、テレビCMでハンコのデジタル化のプロモーションが流れてたよ。これはすごいことだなと思った。

「なあ、音楽はどう変わると思う」とジジノスケが言った。

今の音楽の主流は、間違いなく「踊れる曲」だ。世界的に見ても、日本の中においても。踊りは快活に人とつながる装置としてだけでなく、自己をあぶりだすための儀式的なモチーフにもなるから、様々なニーズに対応できる。

「音楽を聴いて体が揺れたり、軽くつま先でステップを踏んだりってのは、これももうダンスだしな」

そう。音楽とダンスの親和性は元々高いし、高まり続けているようにも思える。
ちなみに、ムーブメントにもいくつかの傾向がある。
たとえば、夜。

サカナクション / ネイティブダンサー

Flume & Chet Faker – Drop the Game

最近じゃ一人でダンスを踊る。誰もいない世界で自己表現をする。
こういうとき、大半は「この世界はまるで自分ひとりみたいだ」という世界との隔絶の念が表現の出発点となることが多い。

「で、そういう曲が売れてきた。なぜなら皆もそう思ってるからな。皆、孤独なんだ。悲しい世界じゃないか」

そうかな。僕はそういう世界でよかったと思うけどね。みんなが一人ってのはたぶん良いことだよ。

「何言ってるかよくわからん」と猫が眉を寄せる。

ともかくだ。そういう曲が流行ったのは、作り手にも聴き手にも、「世界には人が溢れてるのに、自分はその世界に紛れ込めていない」という共通見解があったからだった。
でもね。新型コロナウィルスはその世界を全く違うものにしようとしている。
いまの世界には、人は溢れていないんだよ。
僕は誰ともつながれないが、僕以外の人もまた、誰ともつながれない。
次の世代のダンスナンバーは、この価値観を踏まえたものにならざるを得ない。

「別に次の世代も踊ってるとは限らないだろ。もしかしたら日本以外じゃすっかり忘れ去られたロックジャンルが、また息を吹き返すかもしれないぜ」

いまの猫の言い分には完全に語弊があるが、たしかにロックナンバーが流行る可能性というのはあると思う。
でも、激しくないロックになるかもな。

「なんでだ?」

みんな家にいるんだ。近所迷惑になるだろ?

「迷惑を気にしてたらロックなんて出来ないだろ」

その言い分にもまた語弊があるぞ、と僕は呆れた。
とにかく、踊り方は変わっていくよ。音楽も、何もかも変わっていく。そしてそれは、なにも悲しいことというわけじゃないはずだ。

People In The Box – ダンス、ダンス、ダンス

「玄関で呼び鈴を押してる奴がいるぞ」と猫が言った。何回か尋ねると「三回」と言う。
どうやら時間が来てしまったようだ。僕は玄関へ向かうべく立ち上がった。

神西亜樹

神西亜樹小説家・シナリオライター

投稿者の過去記事

2014年、『第一回 新潮nex大賞』大賞受賞。新潮文庫nexよりデビュー。
最新作『東京タワー・レストラン』発売中。
ショートシナリオや劇場用映画脚本協力等も担当、シナリオメイキングに幅広く携わる。
昔はボーカロイドで楽曲を制作しており、作詞から挿絵、動画まですべて自作していた。音楽は今でも愛好。
ユーモラスで優しい話が好き。

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