ああ。
「なんの相槌だそりゃ。俺は何も言ってないぞ」
ジジノスケが目を丸くして言った。そうだったろうか。どちらでもいいか。いまはこの部屋に思考を持ち込みたくない。もう、30度超えているのだ。定員オーバーなんだよ。思考なんて持ち込んだら、僕の頭はパンクする。
「クーラーをつけろよ。お前、夏ダメなんだったか」
夏は好きだ、と僕は思った。四季の中では一番嫌いだけれど。
「・・・」
猫の視線が痛いので、僕の中の夏というものについてすこし整理することにする。
子供の頃、僕は夏が好きだった。エネルギッシュで、自分の世代の季節のような気がしたし、摂取していたアニメ作品なども夏を舞台にしたものが多くて、僕の考えを肯定してくれているように思えた。デジモンアドベンチャーや、ひぐらしのなく頃にや、細田守や宮崎駿の映画などを見ても、夏は未成年のためにあるように感じる。だから僕は、未成年として夏を好きになった。
Galileo Galilei 『青い栞』
奥 華子/ガーネット(弾き語り)
だが、いまの僕は未成年ではない。
「なるほど。なんとなくお前と夏の距離感はわかった」
僕は猫の言葉に唸り声で返し、なんとか夏を涼しくイメージできないか努力してみることにした。水の音、アイスクリーム、風鈴・・・。
「風鈴は最近見ないな」
現代じゃクーラーをつけた方が涼しくなれてしまうからね。
ただ、音で涼しさを得ようという発想、僕は好きだ。ガラスが日を透かし、光を跳ねさせる光景というのも美しい。透明で清潔な音楽だと思う。
僕はたぶん、ガラスの透明感を個人的に気に入っているのだと思う。『東京タワーレストラン』という著書があるのだけど、元々つけようとしていたタイトルは『硝子星の塔をまたぐ』だったんだ。眠ると全身がガラス細工になってしまう少女と出会った主人公が、彼女を助け出すため奔走するボーイミーツガールSFだった。
「SF?」
少女の硝子体は量子論の延長線上にある研究成果で、瞬間移動ができるという設定の、未来の物語だった。この辺の情報量がややこしかったから、結局物語をバッサリとスケールダウンさせて、主人公も変えたレストランものになったんだけどね。舞台設定は初稿段階とほとんど同じで、箱庭を丸々引き継いだ形の作品になっている。
「じゃあ、文庫本の裏では、当初の主人公たちが走り回っていたのかもしれないわけだ」
そういうことになるかもしれない。
とにかく、ガラスというのはモチーフとして優秀だと思うんだ。透明で、穢れがなく、割れやすい。もろく儚い。光を通す。自分がない。水中に消えるし、熱で曲がる。あと、ガラスというのは液体なんだ。長い年月をかけて、重力によって垂れ下がっていくんだ。無機質で不干渉に見えて、実はずいぶん歪なんだよ。
「なあ、思ったんだが」
ジジノスケが難しい顔をして言った。
「“透明な林檎”が、本当に透明な、空想上の林檎を指しているのではなく、実在する何かを指している可能性はないか?“ガラス細工の林檎”みたいにさ」
そういえばジジノスケは、“透明な林檎”という言葉の出所を探しているんだったな。理由はわからないが、とにかくずっと気にしている。
僕はすこし考えてから、この猫の考えを肯定した。
その可能性はあると思う。透明な林檎は実在するのかもしれない。
透明な林檎と呼ばれる、何か・・・。
「おい。玄関で呼び鈴を鳴らしてるやつがいるぞ」
ジジノスケがそう言ったので、僕は「何回?」と尋ねた。
「・・・二回だ」
どうやら時間が来てしまったみたいだ。僕は玄関へ向かうべく立ち上がった。